【白山】


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プロローグ  
私の家からは、裾野から見渡せる白山や御前峰の頭も見つけることができない。少し散歩をすれば経ケ岳が見え、もう少し散歩をすれば大長山が見える。その先に白山が鎮座しているはずだが、拝むことはもう少し散歩をしなければならない。街中、いや、田園風景の中ですら平地を歩くのは、かなりの精神力が必要になる。私には無理な話かも知れない。
子供の頃、白山という言葉は幾度となく耳にしたことがある。福井に生まれれば、ごく自然に耳にする言葉である。福井市内とはいえ、町内、いや、集落と呼んだ方が似合っているところで育った私は水田と縁があった。生活の一部である。お祭りといえば農作業の合間に年三回奉納される白山神社のお祭り。白山連峰水域から流れてくる水に感謝し豊作を願い収穫に感謝する質素で素朴なお祭りである。子供の頃の白山との関わりは、これくらいしか見つけられない。
 2004/12/05(日)/14:21:25  No.3

初登頂  
20代も終わろうとしていた頃である。突然、義父から「白山へ行かないか」の電話が入る。断る理由もなく妻も行くということでOKの返事をしてしまった。「後悔先に立たず」である。
そのころは、山と言えばゲレンデスキーであった。地元よりも長野方面にシーズン中4〜5回は足を運び、見た目「ウェーデル」までこなせていた。しかしコブは大敵であった。野沢の牛首では2〜3回のターンでギブアップ状態。いつしかスキーは息子に抜かれ、最近では、ご無沙汰もご無沙汰である。長野通は相変わらずingで、今でも年何回かは足を運んでいる。当然、温泉巡りである。
話を元に戻して、初めての本格的な登山が白山、装備など何もなく、雨の心配もせず、ジーパンにTシャツにズック、今では想像も出来ない姿である。8月下旬ではあったが思い起こせば・・・。
グループのリーダーは足が少し不自由な方で、ずっと年輩の方であった。しかし歩く姿は「登山家」そのもので頼もしい存在であった。
砂防新道を登りだし中飯場を過ぎた頃に、私の膝は早くも苦痛を訴えるようになった。我慢できる痛みではあったが、リーダーの方がノコギリとナタを出し藪の中へ。即席の杖を作っていただいた。杖の先は何故か「Y字」になっているのである。尋ねると「マムシの頭を掴むんじゃ」とのこと。「はぁ〜?」である。余談だがマムシは「黒」より「赤」の方が良いそうです。マムシからすれば迷惑そのもの?
好天に恵まれ、無事、下山。山に、はまり出す第一歩であった。
その時の杖は、今でも愛車のトランクルームにあり、登山口までは、毎回、ご同行願っている。
 2004/12/05(日)/15:06:17  No.4

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